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2013.12.13 Friday | 20:54

大蔵駿我、一週間の欧州滞在記


 
日曜日は市場へ出掛け、糸と麻を買ってきた

「社長、それは?」
「服だ」
「服? それは、あの、普段に着る服のことで?」
「着る側じゃない。作る側に興味が湧いて買ってみた」
「社長が服を作る側……? それはまた、どのような理由で?」

別段、意味があって手にしているつもりじゃ無い。
見掛けた時に「いい色だ」と思ったら、金を払いたくなった。とはいえ服飾の世界に明るい方じゃない。
嫌いな奴の専門分野ということもあって、どちらかと言えば避けてきた。身だしなみは身の丈にあったものでいいと考える方だ。
何故こんなものを買ったのか、自分でも不思議に思ってた。適当でいい、理由が欲しいな。

「次はアパレルの事業に手を伸ばすおつもりでしょうか?」
「いずれはと考えてる」
「しかしあの業界は、社長の敵――失礼。競争相手である、ヨーロッパ支部の影響力が強大かと」

適当に付けた理由の先行きを考えるなよ。

「そのヨーロッパ支部の成績に、単純な数字で押されている。先日の≪晩餐会≫では、総裁殿の前でひどく恥をかかされた」
「も、申し訳ありません。ですがその、やはり、敵対する――失礼。競争する相手があの大蔵衣遠である以上、社長を欠いた我々では力不足です。
トップを欠いた執行部は、指導力の面でこれほど差が出るものかと痛感しておりまして……社長に本社へ戻ってきていただければと……」

尤もだ。俺もおまえたちを信じてない、現状に合った管理体制の構築がすぐにでも必要だ。
だけど、そういうわけにもいかない。

「パリでの滞在予定はどれほど……?」
「週末にはマンチェスターへ向かう。その後で対象と接触したい。それにも偶然の演出が必要だ。本社へ戻るにはもうしばらく掛かる」
「来週の間だけでも戻ってきていただけないでしょうか」
「対象はともかく、その雇用主は逃げ癖のついた元引きこもりだ。こちらも苦しいが、相手はいつパリから逃げ出さないとも限らない。大蔵家の家政に関わることだ、追いつめられるまでおまえらも耐えろよ」
「はっ……」

あの「里想奈」という従兄妹は子どもだと聞いてる。
彼女について話が及ぶと、その兄も、俺の父も、一族の中でも才能の無い凡庸な人間として語る。
珠のように扱っている彼女の母親でさえも「言い聞かせる」ように何事も話す。口では「内に才能を秘める」と言っているものの、同時に二つの物事を覚えられない人間と接する場合の話し方をする。
真星殿はほとんど口を開かないから考えが読めない。家族に対して偏った愛し方の総裁殿を除けば、一家の中で彼女を人として対等に扱ってるのはアンソニーくらいか。
ほとんど話したことのない相手だ。俺も子どもとして接するのが安全だろう。子どもはどんなに強気でも、躓いて転べば、泣きだして家へ帰る。
まだ日本で暮らしていた今年の前半も、学校へ出席したのは学年が上がってすぐの四月きり。クラス替えの機会も生かせず、半年間を部屋で過ごしたと聞いている。
そのうえ、せっかく現状を打破するために留学したパリの教室でも、歓迎されてないらしい。入学して三ヵ月なら、夢見るお嬢様の目が覚める頃だ。ただの意地だけで乗りこえられるほど、海外での生活は易しくない。意思のない子どもにはここらが限界だろう。
むしろ、意外なほどよく保っていると思う。彼女が三ヵ月も通学を続けられたのは、よほど運が良かったんだと……。

『お陰様で、ようやくクラスに馴染んできた気がします』

糸と麻がしゃべった。そんなはずはないんだが、頭の中で声が再生された。
そういえば日本とパリでは、あの従兄妹の通学する条件に大きな違いがあった。生活を共にする付き人の存在。日本で引きこもっていた頃に、大蔵の本邸で見掛けた彼女の付き人とは違う人間だった。
生活を共にしている分、その実の兄や母よりも、今の彼女をよほど知っている人物だ。自分の付き従う相手について語る時、彼女はいつも誇らしげで、主人の前向きさを誉めていた。その話に出てくる「大蔵里想奈」は、愚かな引きこもりという人物像とは掛けはなれている。
「小倉朝日」という名の従者。そうか、彼女が側にいるんだった。

「来週、ニューヨークへ戻る」
「は?」
「対象の逃げ癖が直っていたのを思いだした。しばらく監視を外しても、パリから居なくなることはないだろう。本丸の結束がバラバラじゃあこちらも苦しい状況だ、一度戻って態勢を立てなおす」
「あ、ありがとうございます社長!」

あの従兄妹は、敵対する側の人間として、惜しいことをした。従者が小倉さんじゃなければ、俺はパリから離れられず、少し苦しい思いをしたかもしれない。
お礼にこの糸と麻は小倉さんに贈ろう。服飾の勉強をしているのなら、何かの役に立つかもしれない。

「では先に本社へ戻っております。あ、ところで社長……」
「なんだ」
「社長が手にしているのは麻ですが、一般的に我々が着る服の素材と言えば綿ですよね」
「そういうものか」

知識は手広く集めている方だと思っているが、服飾には明るい方じゃない。素材なんて知るか。
ということは無駄だな、この糸と麻。困った。



月曜日は総裁殿の秘書から電話があって、
火曜日はその内容にうんざりしながら一日を過ごした

水曜日は弟から電話が来て経営についての相談をされ、
木曜日は弟のおしゃべりに付きあわされた

「ハッハー! 兄上は随分長いことパリにいるんだな! 俺も早く行きたいぜ!」

時々、この弟はいい奴なんじゃないかと思う場面がある。

「従兄妹殿ともそっちで会う約束をしてるんだ。留学も順調に進んでいるようだからな、きっと環境がいいに違いないんだぜ。パリはそんなに居心地がいいのか?」
「好きで滞在してるわけじゃない。それよりも、信用できる奴の手が欲しい。まだ来られないのか」
「それが聞いてくれ。兄上のアドバイスを実行に移したら、さっそく社内がまとまり始めたんだ。さすがは兄上だぜ、ハッハー!
だけどせっかく内側を固めても、交渉相手のインドネシアの連中は頭が良くて、一筋縄じゃいかないんだぜ……そこで神社へ神頼みに行ったところ、聞いてくれ、これは凄いぜ、なんと西南へ向かうのが大吉というお告げが出た! インドネシアの位置は日本の西南……これは運命だ! 俺自らカリマンタン島へ赴いて、現地の人間と交渉してくるつもりだ!」
「そうか」
「とはいえ従兄妹殿との約束もあるし、仕事は早く片付けないといけないな――あっ! ≪晩餐会≫の準備も進めなくちゃいけないぜ! 兄上、以前に頼んだ牛肉の手配は任せていいんだな?」
「ああ、おまえの母親の故郷の肉だったな。最高品質のものを用意しておくよ」
「それが済んだら、ようやくパリへ行けそうだ。そうだな≪晩餐会≫を終えてからということは……一月だな!」

遅すぎる。
とはいえ、急かして経営を疎かにされてもマズい。これも運命か。

「来年になればパリで従兄妹殿を抱けるのか。これも運命だな、その日が待ち遠しいぜ、ハッハー! それで兄上、どうなんだパリは?」
「食事は高いし、アパートも狭いくせに部屋代が高い。住むなら慣れた日本の方がいい」
「おいおい兄上、俺はそんな答えが聞きたかったんじゃないんだぜ。パリと言えば、三度の飯よりパリジェンヌじゃないか、早く世界一のファッション大国の女たちに囲まれたいぜ、ハッハー!」
「さっき従兄妹殿を抱きたいと言ってなかったか」
「だって従兄妹殿はパリジェンヌじゃないぜ。何を言ってるんだ兄上?」
「そうだな、俺が間違えた」

従兄妹殿も大変だ。

「そういえば、兄上はまだパリジェンヌと肌を合わせていないのか? 全く、何事にも慎重なのはいいが、女は一度肌を触れあわせてみなければ、相性なんてわからないものなんだぜ? 兄上に好意を持つ女は、俺でも羨むほどの美貌と家柄の連中が山程いることを知ってるだろ?」
「俺に対して好意があるんじゃない。大蔵家の財産が目的だ」
「またそんなことを言って勿体無い! 三日前も総裁殿から紹介された縁談を尽く断ったらしいじゃないか」
「話の伝わるのが早い。どういう経緯で誰から聞いた」
「総裁殿から相談されたんだぜ。兄上も良い歳だから良い女性を紹介したい、だけど断られた、その理由は付きあっている女性がいるとのことだが、心当たりはないか、ってな!」

あれは、その場凌ぎの適当な嘘だ。考えればわかるだろう。

「だから俺が『兄上はモテるから、パリジェンヌと付きあってるんですよ』って答えておいたぜ。まさか肌を確かめる前から付きあっているとは思わなかったけどな、ハッハー!」

勝手に答えるな。そもそも嘘だが、それにしたって適当さが増した。

「しかし兄弟の俺にも黙っているなんて足臭いぜ!」

水臭いだ。

「兄上が女性と正式に交際しているなんて、俺の知る中では初めてのことだ! 義理の姉になるかもしれない人じゃないか、今度紹介してくれ!」

せっかく喜んでくれているのに悪いが、結婚する気はないんだよ。
大蔵家の血をこの先に残すつもりはない。それも俺の血の半分は、大蔵家の中でも、特に権力欲の強いあの父親の血だ。
腐った血液だ。その血が流れるこの身体さえも他人事だと思わなければ、とてもじゃないが平静を保っていられるようなもんじゃない。
幼い頃から、自分を管理する術を必死に学んだ。楽しみや悲しみは、意識して外から眺めれば、落ちつかせることができる。飲み屋の隣の席で、パチンコで大当たりした奴が喜んでいても、次の日に同じ奴が有り金を全てスッて大泣きしていても、同情も憐れみも何も感じないだろ。あれと同じだ。何らかの感情が湧けば、一時避難する指示を出すだけの簡単なお仕事だ。
だから性欲や食欲も、あまりない。一流の料理を舌にのせれば旨いと思うが、所詮は他人の身体で感じた事だ。
新しい一族が生まれれば第二の俺になるかもしれない。何の罪もない新しい命に、こんな思いをさせちゃいけないよな。負の連鎖はここで断ちきる。大蔵の一族に、いま以上の人数はいらないんだよ。

アンソニー、おまえもだ。
こいつには悪気がない。喜びも憤りも刹那的で、腹を立てた相手が目の前で足を挫けば、すぐにおぶって病院へ運ぶ親切さがある。今だって「こいつはいい奴なんじゃないか?」と考えたりもする。
だけどおまえも大蔵の一族だよな? あの父親の血が流れてる。
こいつは人並みに欲も野望もある。それが正しい人間の姿だ。間違っちゃいない。だけど大蔵の一族は、それが周りの人間を歪ませるほどに大きい。まるで化物だ。
だから巨大な財産と、権力が、おまえを人間じゃいられなくする前に、俺が大蔵の家から追いだしてやるよ。
体一つで生きていくなら、大きな権力に心を歪まされることもない。それなら結婚しようと、家族を増やそうと、好きにすればいい。
俺の代も、上の代も、そのひとつ上の代も、大蔵の人間には誰一人まともな奴なんていない。そんな一族は、俺ひとりが残り、断ちきって――

『私の主人は、自分のために私の幸せを願ってくれています』

またあの声を思いだした。
小倉さんの主人。つまりは俺の従兄妹。大蔵里想奈。
俺が最も家族として認めない男を兄に持つ、俺たちの代で、ただひとり公に認められている女性の家族。
彼女は、あの心の綺麗な従者に慕われていた。疑いようのないほどだ。
単に小倉さんが誰でも慕う性格だという可能性もある。
しかし彼女は人を見抜けないほどの愚者か? 臆病ではなく、不断でもなく、頭が悪いわけでもない。
そんな彼女が一途なまでに尽くす人。俺がまるで情報を持っていない、部屋に閉じこもりきりの人形。
≪晩餐会≫で見掛けたあの従兄妹は、平静を保つ振りをしつつ、いつも何かに脅えている。
てっきり家族に言いふくめられて、愚かさを晒さないために口数を減らしているのかと思っていた。そうじゃないとすれば、脅えてる理由はなんだ?
その従者が「他人の幸せを願える人間だ」と言っている。もし彼女が俺のような環境で育ち、だけど俺のように全てを他人事だと捉えられず、あの狂った一族たちに人格を歪まされた、善人であったなら?
考えにくいことではあるが、万が一、彼女の中に、欲を省みず、家族を想う気持ちがあるとすれば?

俺は救われる。
この血の全てが腐っているわけじゃないと、彼女と血の繋がりを認めることで証明できる。
己の肉体を自分のものだと受けとめて、世界の全てを実感できる。

接触したい。だけどそれは難しい。
彼女が自分でものを考えることのできない人形なら、籠絡のための説得は、情報さえあれば容易いと踏んでいた。
だが今の俺は、彼女を人として認識している。そうなれば話は違う。
大蔵里想奈は冷戦を繰りひろげている相手の一家で、その実の兄は俺の最も警戒すべき明確な敵だ。
接触を図る際に「兄の敵」という入り口を選べば、彼女は正体を隠して人形を演じつづけるだろう。
それじゃあいけない。彼女との接触には、俺が求める美しさを持つ入り口を選ばなくちゃいけない。つまり、俺が信頼しつつある彼女の従者だ。

小倉さん。
何回か接触を試みたが、会話をする度に動揺させられる。穿った目で疑ってみようと、いつも眩しいほどの誠意に当てられる。
ああいう人を善人というんだ。いっそ彼女が一族なら、どれだけ救われたことだろう。
いや、その「まさか」の可能性が生まれた。本当に、夢のような話だが、かの「屋根裏王子」を後ろ姿でしか俺は知らない。
あの背中は「遊星」という傍流の男だと思っていた。いや、そうだとしてもいい。だがその男に妹がいれば? 真星殿の愛人に、我々の認知していない娘がいれば?
その人が小倉さんだとすれば、兄も居て、マンチェスターで生まれたことになる。彼女は大蔵の一族だ。
こんな馬鹿げた妄想を抱え、敵地にまで赴き、ともすれば本来の目的すら見失いそうになっている。俺は、動揺しているのかもしれない。
だが地熱の沸きあがってくるような高揚が、ひどく心地良い。これが自分の意思で生まれた、俺自身の感情だとすれば抑えが利かない。
少しでも早く彼女のことが知りたい。

「兄上? どうしたんだ、ボーッとして。また何か策でも練ってるのか?」
「ん? ああ、すまない。そうだな、策を練っていた。だが何をするにも手が足りない。大蔵家の内部に関わることは、おまえにしか任せられない」
「ハハッ、血の繋がった兄弟だからな、俺にできることは何でも言ってくれ!」

いい奴だな。大蔵の人間でなければ。

「早くパリへ来い」
「ああ、さっさと会社の面倒は片付けてそっちへ行くぜ! そしたら兄上の恋人を紹介してくれよ!」

だから、恋人はいない。見合いを断るための適当な言いのがれだ。

「ちなみにどんなパリジェンヌなんだ? 胸は大きいのか? 髪はブロンドなのか?」
「フランス人じゃない。日本人だ」

元が適当な言いのがれだから、今度も適当な嘘をついた。
適当だから、日本人と言っても小倉さんを思い浮かべたわけじゃない。



金曜日はロンドンで一泊し、
土曜日はマンチェスターへ調査に赴いた

この町には困らされる。
俺自ら出向いた調査は失敗に終わった。考えていた以上に衣遠の手が回っていた。
探偵や事件屋の類と接触しても、真星家の別荘に話が及ぶと、途端に警戒の目を向けてくる。半端な連中やゴロツキでさえ、それなりの金をチラつかせても、色目より恐怖を優先する。
大蔵家の関係者は、衣遠の本拠地であるイギリスを指して「帝国」と呼んでいる。一歩内側へ踏みこんでみれば、それもあながち大げさな話ではなかったのだとよくわかった。
俺の求める情報は十年以上も前の話になる。その頃を知る人間と話したかったが、当時の記憶が鮮明な奴ほど「大蔵家」を強く怖れる。関わりたくないというよりも、この町で有力者として暮らす以上は、必ずかの家を恐れろと言わんばかりの徹底ぶりだ。
やがて、これ以上の滞在は危険だと察知できる程度に、大蔵家の情報を嗅ぎまわっている俺の存在が認識され始めた。事が事だけに、任せられる第三者が近くに居ない。撤退せざるを得なかった。
衣遠は大が付くほど嫌いな奴だが、この周到ぶりには感心する。全くもっていやらしい奴だ。
それとも、そうまでして隠さなければいけない何かが、あの男にはあるのか。
そんな引っかかりはあったものの、今回は奴の情報を得ることが目的ではないから、速やかな撤退を心掛けた。

結局、無駄足になった。二日も時間を使って何も得られなかった。
いや、まだ全てが無駄に終わったと決まったわけじゃない。小倉さんの警戒を解き、情報を得るための手段として使うための、マンチェスターの土産が欲しい。
空港へ向かう前の時間で、適当なものを置いてそうな店へ入った。クリスマスに近い時期なのもあって、友人への土産物よりも、家族や恋人への贈り物に相応しいものばかりが目に付く。
店内の恋人たちは、ブランドものを手にしながら、鞄だ靴だと選んでいる。だけど俺が贈り物をする相手は清貧な人だ。あまり高価なものを用意しても、受けとってもらえないだろう。それに男女を意識してると思われて、距離を置かれるのも困る。
手頃なものとしては紅茶やクッキーがあるものの、食べ物じゃ仕込みができない。都合がいいのは、部屋に飾るものか、身に付けるタイプのアイテムだ。
こんなのはどうだ。テディベアなんて小倉さんに似合うんじゃないか? いや、街で会う知人という距離感を考えると、これでも高価に思われそうだ。

「地元の土産はないか」
「サッカー? それならキーホルダーが人気あるよ」
「サッカーに興味はないんだ」
「はあ?」

鼻で笑われても困る。俺は仕事で、サッカーの観戦に来たわけじゃない。
だけどこの町では店主の認識が正しいみたいだ。他の客にも不思議そうな目で見られた。サッカーで有名な町だとは聞いていたが、興味がない人間は観光客ですらないか。
こちらが敵地だと認識しているせいか、場違い感が否めない。季節特有の赤と緑と銀の華やかな装飾の中、黒いスーツの地味な男が一人というのもあって、どうにも浮いて居心地が悪い。止めに嫌いな奴の顔が頭に浮かんで、元々良い印象のなかったこの町がいよいよ嫌いになってきた。

イギリスは紳士の国という
マナーに対して厳しい風土かと思っていたがそうでもなかった。
マナーの悪い奴は嫌いだ。耳元で大声を出されたり、道端で肩をぶつけられたりしては、他人事じゃいられなくなる。考える間もなく、無遠慮に自分の世界へ踏みこんで来られると、苛立ちという感情が生まれる。
苛立った顔というやつは、何だってあんなに汚いんだ。動物の唸る顔は嫌いじゃない。警戒や威嚇は本能だ。だけど人間の苛立った顔は、理性で本能を抑えようとしている最も汚い表情のひとつだ。眉を顰めて口元を震わせる自分を想像すると、あまりの醜さに死にたくなる。

そんな時は、見知らぬ他人に救いを求めた。
一度きりの相手がいい。親切を押しつければ、感謝だけが残る。二度と会うことのない誰かを良い人と決めつけたまま、世界を閉じることができる。
たとえ作り物の感謝でも、苛立ちではない感情を他人から与えられることで、俺は救われ続けた。
だけど今ここに親切のできそうな相手はいない。だとすれば、過去に受けた感謝を思いだそう。自然と、パリの大通りで肩を小さくしていた背中が浮かんだ。

あの日、声を掛けただけで純粋な感謝をしてくれた女性。やがて彼女が無視できない存在と知った時、いつかこの人の汚い顔を見なければいけないのかと、声を掛けたことを残念に思ったこともあった。
だけど彼女は最初に会った日のままの純粋な人で、俺の失望は喜びの動揺を覚えるほどに裏切られた。
これからその彼女に不誠実な行いをしようとしている。そのことで、多少の後ろめたさは覚えている。
自分にそんな感情があると気付いた時は驚いた。過去にも世間で悪いと定義できる真似はしてるんだ。不誠実な行為そのものに心を痛めたわけじゃない。そもそも誰に後ろ指をさされようと、俺にとっては他人事だ。
俺にとって大切なのは「後ろめたさ」という感情を自覚できたことだった。その原因も「大蔵里想奈の調査」に関わることではなく、小倉さんについて知りたいという極めて私的な欲求から生まれてる。
大蔵家に仕える動機、彼女の生まれ育った環境、その誠実さの根源に触れたい。この俺が、自分の意思で、他人を知りたいと考えている。
恋愛じゃない。これはただの興味だ。幾つかの要素が重なった末に、彼女を知りたいと思うことができた。好意を持った相手への興味は、人間として一般的な感情だ。大蔵家の件が片付いても、付きあいをなくしたくないと考えている。
だから恋愛じゃない。彼女とは年齢差もある。だけど俺と小倉さんは男女だ。始まりはただの興味だとしても、なんらかのベクトルが加わった瞬間、一般的に、男女としてのごく自然な感情が生まれる可能性もあるよな。
家族を持つつもりはない。だが、俺が救われた後で、小倉さんが応えてくれるのであれば。

店内には高価なアクセサリーも置いてある。俺から指輪を贈られた小倉さんがどんな顔をするか、少しだけ想像をしてみた。
駄目だな。その場面を想像しただけで動揺する。渡す側の俺が噴きだしそうだ。
おかしみを覚えるなんて、まるで自分事だ。小倉さんが関わると、業務的な選択をすればいい事柄に感情が交じる。今いる場所に初めて足を下ろしたような、嫌な町だと感じたこの北の大地を微笑ましいと思える。
結局は、店主に勧められた安価なキーホルダーを選んだ。業務的な理由じゃない。贈り物の金額は、お互いの関係に相応のものを選ぶのがマナーだ。今の俺と彼女の距離感を考えれば、これが妥当だろう。
ただ、それと一緒にテディベアも買っておいた。これは全てが済んで、それでもまだ小倉さんと話せるのなら、その時に渡そう。今より、少し進んだ関係になれることを願う。
この後は、マンチェスターから直接ニューヨークへ向かうつもりでいた。だけど一度、パリへ寄ろう。顔は見られなくてもいい。彼女のいる町を歩きたい。



友だちよ
これが私の一週間の仕事です

仕事かこれ?


コメント
元々亜衣ぽんとリンダが好きだけど、駿我さんも好きになったぜい( `ー´)ノ
  • kinori
  • 2015/07/08 3:25 AM
はぁ……スルガタソ……
  • johnny
  • 2015/04/21 7:21 AM
今になってようやく見つけたけどこれすごいなぁ…
駿我さんほんとに好きだわ
  • スルガ銀行のカードを作った人
  • 2014/04/06 11:48 PM
何回読んでも駿我がかわいくてびっくりします。。。
  • mosawa
  • 2014/01/09 10:09 PM
駿我さんと朝日の関係は純愛ものとしてドキドキさせてくれる。
  • kemeko
  • 2014/01/07 10:23 PM
ところで、『つり乙』endだったら
この人に『救い』はあるのだろうか?
  • 駿我さんお幸せに
  • 2014/01/07 6:14 PM
朝日たん、マジ天使
  • kuma
  • 2013/12/27 3:02 PM
面白いなぁ
  • 布団ちゃん
  • 2013/12/20 1:26 AM








   
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